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神戸地方裁判所 昭和42年(ワ)630号 判決 1969年3月27日

原告

小方康熙

ほか一名

代理人

中原保

中原康雄

坂田和夫

被告

兵庫県

ほか一名

代理人

林三夫

主文

被告兵庫県は原告小方康熙に対し金六七五万三三五一円、原告小方貴代美に対し金一万八九二二円及び右各金額に対する昭和四二年六月一八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らの被告兵庫県に対するその余の請求及び被告越川こと岩本正己に対する請求を棄却する。

訴訟費用中原告らと被告兵庫県との間に生じたものはこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告兵庫県の負担とし、原告らと被告越川こと岩本正己との間に生じたものは原告らの負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分にかぎり仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告らは連帯して原告康熙に対し金一三七九万八五二二円、原告貴代美に対し金五一万八九二二円及び右各金額に対する昭和四二年六月一八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求めその請求原因として次のとおり述べた。

一、昭和三九年六月三〇日午後二時二〇分ごろ兵庫県西脇警察署勤務の巡査である被告岩本が同署の普通四輪自動車(兵八た〇〇四五号、ホロ型ジープ以下「被告車」という。)を運転して警察訓練から帰署の途中兵庫県三木市大村字北山一の二五二番地先国道一七五号線を進行中、先行車である大型タンクローリー車を追越そうとして道路右側に進出したところ、折から反対方向から進行してきた原告康熙運転の軽四輪貨物自動車と正面衝突したため、右軽四輪貨物自動車は約七メートル押戻され、よつて、原告康熙は頭蓋骨折、脳挫傷、右大腿骨々折、両下腿骨々折等の傷害を蒙つた。

<後略>

理由

一、請求原因事実第一項(本件事故の発生及び原告康熙の受傷の事実)は当事者間に争がない。

二、そこで、本件事故が被告岩本の過失によつて発生したものであるか否かにつき判断する。<証拠>によると、本件事故現場付近の道路はほぼ南北(明石方面から西脇方面)に通ずる幅員約7.5メートル(有効幅員約6.8メートル)のアスファルト舗装の道路であつて、北方に向つてゆるい上り勾配となつていること、事故現場の南方約四〇メートルの地点において北方に向つて右にゆるくカーブしており、また事故現場の北方約四〇メートルの地点においては北方に向つて左にゆるくカーブしているため前方の見とおしのきく範囲は狭いこと、被告岩本は被告車を運転して時速約四〇キロメートルの速度で右道路左側を南方から北方に向けて進行し、事故現場の手前約八メートルの地点にさしかかつた際、進路約2.30メートル前方を同方向に進行中の大型タンローリー車を追越そうとして、反対方向から進行してくる車両の有無等先行車の前方及び左右の安全を確認することなくいきなりハンドルを右に切つて道路中央線を越えて道路の右側部分に進出したところ、折から反対方向から進行してきた原告康熙運転の軽四輪貨物自動車を約二〇メートル前方の地点に発見し、これとの正面衝突の危険を感じてハンドルを左に切ると同時に急制動の措置をとつたが間に合わず、被告車の前部を右軽四輪貨物自動車の前部に衝突させたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、自動車の運転者としては右のような場所で先行車を追越す際には前方を注視して反対方向から進行してくる車両の有無等先行車の前方及び左右の安全を確認すべく、かつ、<証拠>によると、事故当時被告車は左側ナックルアーム締付けナットが四個とも大きく緩んでいたためハンドル操作が重くかつ、ハンドルの遊びが大きいので意のままに操縦することが困難な状態となつていたこと、被告岩本が右事実を知りながら被告車を運転していたことが認められるのであるから、追越しに際しては細心の注意を払い最も安全な方法で運転し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるものというべきところ、被告岩本はこれを怠り、反対方向から進行してくる車両の有無等先行車の前方及び左右の安全を確認しないままいきなりハンドルを右に切つて追越しにかかり道路中央線より右側部分に進入したため前記認定のような衝突事故を惹起したものであるから、本件事故は同被告の過失によるものといわなければならない。

三、しかして、本件事故は、被告兵庫県の公権力の行使にあたる警察官である被告岩本がその職務を行うについて右過失により惹起したものであることが明らかであるから、被告兵庫県は本件事故によつて生じた後記損害を賠償する責任がある。原告らは被告岩本においても直接原告らに対して後記損害を賠償する責任があると主張する。しかしながら、国家賠償法第一条の規定は公務員の職務行為にもとづく損害については国または公共団体に対し賠償責任を負担せしめ、当該公務員に対しては直接被害者に対する賠償責任を負担せしめない趣旨と解すべきである。けだし、被害者としては国または公共団体から賠償を得れば充分経済的に満足を得られるし、国家賠償法第一条が「国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。」といつているのは賠償義務者としては国または公共団体のみを予想しているものとみられるからである。したがつて、本件において、被告岩本は直接原告らに対し賠償責任を負わないものというべきであるから、原告らの右主張は採用できない。

四、そこで、本件事故により原告らが蒙つた損害につき判断する。

原告康熙の蒙つた損害

1  治療費その他の費用

(一)<証拠>によると、原告康熙は事故直後の昭和三九年六月三〇日から同年八月二八日までの間小野市民病院に入院し、同病院に薬治料として金二九四〇円を支払つたほか、看護婦に対する謝礼として金二〇〇〇円、付添看護料として金二万八〇八〇円、付添婦の寝具料として金一〇〇〇円、入院中の牛乳代として金四八〇円、入院雑費(見舞客に対する食事代、連絡電話代、氷代、タオル代、毛布代、ソケット代、薬品代、蚊野線香チリ紙石鹸等日用品買入代)として金二万三六五三円を支払つたことが認められる。なお同原告は付添婦の食事代及び風呂代として金七三〇〇円、謝礼として金一〇〇〇円を支払つたと主張するけれども、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(二)<証拠>によると、原告康熙は昭和三九年八月二八日から昭和四〇年四月一〇日まで、昭和四〇年四月二八日から同年五月九日まで及び昭和四一年二月二五日から同年三月一六日までの間神戸市立中央市民病院に入院し、退院後は昭和四二年三月九日までの間に、同病院において三四回、佐野病院及び清風クリニックにおいて各一回通院治療をうけ、中央市民病院に入院料として金七万三三三〇円を支払つたほか、付添看護料として金一二万五一五〇円、入院中の牛乳代として金八〇九六円、入退院の交通費(タクシー代)として金四八六〇円、通院交通費(タクシー及び電車代)として金四万四一〇〇円、入院雑費(ボンボンベッド代、タオル代、薬品代、水枕代、吸呑代)として金五八三四円、和田カルシウム代として金六九〇円を支払つたことが認められる。

(三)<証拠>を合わせると、原告康熙は本件事故当時着用していた腕時計、メガネ及びズボンが破損したため腕時計修理代及び時計バンド代として金一四〇〇円、メガネ代として金一万一〇〇円、ズボン代として金四七〇〇円を支払つたほか、松葉杖代として金一四〇〇円を支払つたことが認められる。

2  得べかりし利益の喪失による損害

(一)<証拠>に弁論の全趣旨を合わせると、原告康熙は本件事故当時、工作機械等の販売業を営む訴外株式会社アマダ神戸営業所(訴外会社)に販売員として勤務し、一か月平均金三万四三〇二円の給料を得ていたところ、本件傷害のため事故の翌日である昭和三九年七月一日から昭和四二年三月三一日までの間欠勤を余儀なくされたのでその間の給料合計金一一三万一九六六円を得ることができなかつたことが認められるところ同原告が労災保険金六二万四〇三七円を受領したことは同原告の自認するところであるからこれを差引いた残額五〇万七九二九円の得べかりし利益を失い同額の損害を蒙つたものというべきである。なお原告康熙は右期間中に合計金三八万四八二二円の賞与を得ることができなかつたと主張するけれども、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(二)<証拠>を総合すると、原告康熙は昭和四二年四月一日から訴外会社に出勤しているけれども、本件傷害のため右下肢が約五センチメートル短縮したうえ右膝関節の屈曲が一四度、右足関節の背屈が一〇〇度に制限されているので、杖によらなければ歩行も困難な状態であり、自動車の運転もできないし、かつ、記憶力、事務処理能力が著しく低下したため従前のように販売員として就労することができないので内勤の事務職員として就労しているものの満足な事務処理ができないこと、そして右状態は治療の経過及び現在の身心の状況からみて将来も改善される見込みのないことが認められる。ところで、<証拠>を合わせると、原告康熙は昭和三三年に早稲田大学商学部を卒業後訴外きこう産業株式会社に販売員として勤務していたが同社を退職後昭和三九年二月に訴外会社に入社し、昭和三九年六月分の給料は金三万六〇五〇円であつたこと、同原告と同じ学歴を有し昭和三八年に訴外会社に販売員として入社した訴外関口博(昭和四三年当時三〇才)の収入は、昭和三九年六月分が金四万七一八〇円、昭和四一年の年間収入が金一一二万九七五五円、昭和四二年の年間収入は前年よりやや増加した額であること、高校卒の学歴を有し昭和三七、八年ごろに訴外会社に販売員として入社した訴外甲斐郁雄(昭和四三年当時二八才)の収入は、昭和三九年六月分が金三万六四〇〇円、昭和四一年の年間収入が金一六七万五五七二円、昭和四二年の年間収入は前年とほぼ同額であること、昭和三九年二月に訴外会社に販売員として入社した訴外藤原雅義(昭和四三年当時二八才)の収入は、昭和三九年六月分が金三万四六〇〇円、昭和四一年の年間収入が金一七五万四二六三円、昭和四二年の年間収入は前年とほぼ同額であること、(なお昭和四一、二年の年間収入は右三名の間で著しい差が生じているが、これは訴外会社の販売員の給料が昭和四〇年五月までは固定給制と歩合給制であつたのが、同年六月以降は全額歩合給制となつたことによるものと認められる。)以上の事実が認められる。したがつて、他に特段の事情のない限り、原告康熙も本件事故に遭わなければ昭和四二年四月一日以降は少くとも右三名のうち昭和四一、二年の年間収入の最も少い訴外関口の昭和四一、二年の収入(年間一一二万九〇〇〇円、百円以下切捨てる)と同額の収入を得ることができたものと推認できる。そして<証拠>によると原告康熙は昭和一一年一月一二日生れ(昭和四二年四月一日現在三一才)で事故前は極めて健康であつたことが認められ、また第一一回生命表によれば満三一才の男子の平均余命は39.16年であるから、同原告が事故に遭わなければ少くとも昭和四二年四月一日以降昭和六六年三月三一日までの二四年間は訴外会社の販売員として稼働し、その間右割合の収入を得られたものと認められる。ところが<証拠>によると、昭和四二年四月一日から同年一二月三一日までの給料は合計金四六万四四八八円、賞与は合計金一四万四三六八円であり、昭和四三年の年間給料は金五〇万四〇〇〇円、賞与は金三一万二〇〇〇円であることが認められるから、昭和四二年四月一日から昭和四三年三月三一日までの一年間に金三一万六一四四円、昭和四三年四月一日以降昭和六六年三月三一日までは年間金三一万三〇〇〇円の割合による減収をきたしたものと認められる。そこでその間の喪失利益をホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して事故発生当時の現価に換算すると金四四〇万七六〇九円となる。

3  慰藉料

前記認定のような本件事故の態様、原告の受傷の部位程度、治療に従事した経過、後遺症状の内容程度並びに本件証拠によつて認められる諸般の事情を斟酌すると、原告康熙に対する慰藉料は金一五〇万円をもつて相当と認める。

原告貴代美の蒙つた損害

(一)得べかりし利益の喪失による損害

原告貴代美が原告康熙の妻であることは当事者間に争がなく、<証拠>によると、原告貴代美は訴外株式会社産業新聞社に勤務する者であるが、原告康熙が小野市民病院に入院中その付添看護のために欠勤を余儀なくされたため、給料の減収額が金一万三九一四円、賞与の減収額が金五〇〇八円となつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)慰藉料

第三者の不法行為によつて身体を害された者の配偶者は、そのために被害者が生命を害された場合にも比肩すべき、または右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたときにかぎり、自己の権利として慰藉料を請求できるものと解すべきところ(最高裁昭和三三年八月五日、同昭和三九年一月二四日、同昭和四二年一月三一日、同昭和四二年六月一三日各判決参照)、すでに認定したところによれば、本件事故による原告康熙の傷害は重傷ではあつたが幸い軽作業が可能なまでに回復しており、妻である原告貴代美は夫である原告康熙の前記認定の受傷ないし後遺症状について、自己の権利として慰藉料を請求しうる場合には当らないと解されるので、原告貴代美の慰藉料請求は失当である。

以上の損害額の合計は、原告康熙が金六七五万三三五一円、原告貴代美が金一万八九二二円となり、いずれも本件事故に因る損害と認められるから、被告兵庫県は右損害額とこれに対する本訴状送達の日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和四二年六月一八日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

五、よつて、原告らの被告兵庫県に対する本訴請求は右の限度において理由があるから正当として認容し、原告らの被告兵庫県に対するその余の請求及び被告岩本に対する請求は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。(原田久太郎 中川幹郎 三谷忠利)

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